1990年代
僕らが子供だったあの頃。
ゲームは僕らの全てだった。
ファミリーコンピューターがその役目を終えつつ、スーパーファミコンが新しい時代を担おうとしていたあの頃。
それでも僕らは毎日のようにあの白と赤の機械に命を吹き込む。
旧世代のファミリーコンピューターのゲームソフト。
長年お世話になったあのソフトもそろそろ古くなり始め、一発では起動しづらくなってきた…。
そんな時僕らはいつも祈りを込めてソフトに命を吹き込むんだ。
さながら「大天使の息吹」のように。
「フーーー!」っと、願いを込めながら息を吹き込む儀式は、いつしか少年少女たちの魂に染み付いたルーティンとなっていた。
ゲームソフトを差し込む時にはとりあえず「フーーー!!」である。
「唾液が飛散するから基盤に悪影響だ」という専門家の指摘もあったかも知れない。
それでも僕らは「フーーー」をやり続けてきた。
久しぶりに起動するゲームなら尚更。
念入りに埃(と、ソフトに染み付いた邪念)を振り払うために。
何度トライしても中々起動出来ないソフトもあった。
何度も「フーーーー!!」と甦生措置を試みて、ソフトの差し込みの深さや角度を調整して。
そんな微調整の末なんとか起動出来たゲームのセーブデータが全滅していて絶望したのも甘酸っぱい思い出。
友達と集まってワイワイと盛り上がる。
「くにおくん」で間違って仲間をボコって笑ったり怒ったり。
「高橋名人」のあまりの難易度に我慢の限界が訪れたり。
テンションが振り切れて少しコントローラーを引っ張ってしまおうものなら
「ペーーー〜〜〜♪♪」
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強制終了である。
今やニンテンドーSwitchとかなんとかいう最先端なゲーム機の時代。
少しぐらいテンションがあがってゲーム機を倒して接続が切れてしまっても、配線を繋ぎ直せばすぐに続きをプレイできる。
便利な時代になったものだ。
ある日、息子(6歳)がニンテンドーSwitchのゲームを起動しようとして、接続がうまくいかないことがあった。
時代が進んだとは言え、そんなこともあるようだ。
Switchのソフトを抜き取った息子はおもむろに
「フーーーー」
と、ソフトに命を吹き込んだ。
!!!!!?????
なんだ、、と、、!?
もちろんそんな前時代の儀式について教えた覚えなんてない。
息子の前でファミコンやスーファミのソフトをプレイしたこともない。
いや、息子が生まれてから今までの間にファミコンを起動すらしてないはず、、。
衝撃が走った。
もしかしたら息子は、僕が知らない間にYouTubeとかでそういう動画を目にしていたのかも知れない。
しかし、そんなことはロクに教わってはいないはずの息子が
「フーーーー!!」
って!やる!?
いや、、昔のファミコンソフトならともかく、Switchのソフトにそれって、意味あるんか!!??
とかいう疑問も浮かんだけど…
え?
「フーーー」ってやる儀式、もはや魂レベルで受け継がれてる??
遺伝子レベルで刻まれてる本能なの??
また別のある日、息子が車の音楽プレイヤーにCDを入れて聴きたいと言う。
(6歳の息子だが、最近僕の影響でL’Arc〜en〜Cielにハマっている。青春時代に聴いていた曲を息子も気に入ってくれて嬉しい。)
ラルクのCDをプレイヤーに入れようとする息子が、突然CDに向かって
「フーーーー!」
!??
ちょ、まて!
CDにそれはあんまりやらんねん。
ていうか、そんなんする奴初めて見た。
もしやこいつ、何かしらのメディア媒体をプレイヤーにセットする時はとりあえずフーってやるもんやと思ってるんか。
ゲームにしろUSBメモリにしろ何にしろ、メディア接続の精度は昔に比べりゃ格段に良くなっている昨今、フーーーってやる意味も必要もなくなりつつあるはず。
それでもやっちゃうのはやはり本能的な何か…なのかもしれない。
(こんなこと書いてたら幼い頃にフーフーやり過ぎてよく酸欠でクラクラしてた感覚を思した)

